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生 き づ ら い ん だ が

世界は美しいと誰か言ってくれ!

過剰適応かもしれない ◇ 1

 

先程の記事(5月20日②)の続きです。

 

「自分は過剰適応かも?」と

思ったきっかけはTwitterで見かけた

ひとつの投稿でした。

 

それをまとめた記事がこちら

 

”できる子”で居続けた結果、ある日突然壊れてしまう『過剰適応』の怖さ。精神科医が解説「一番難しいです」 : 凹凸ちゃんねる 発達障害・生きにくい人のまとめ

 

少しわたしの身の上話をします

 

わたしは田舎の裕福でも貧困でもない

ごく標準な家庭に生まれました。

 

祖父 父 母 姉 わたし の5人家族です。

母と父は再婚しており、姉とは異父姉妹。

母は人に尽くすタイプで、

あまり男運がないと言えると思います。

 

その頃の父は本当に傍若無人

血の繋がりがない姉を殴ったり

わたしが吐いてしまうまで

苦手な食べ物を食べさせるような人でした。

 

今でも思い出す

とても印象的な出来事があります。

 

幼稚園生だった頃だと思います。

ある昼間、父の部屋の釣り道具が見たくて

部屋に入ったとき、謝って床の灰皿を倒して

カーペットを汚してしまったのです。

 

灰はなかなか落ちず、

母が掃除をしてくれたものの

完全に綺麗にはなりませんでした。

 

母は幼いわたしに言いました。

 

「ママがやったことにしなさい」

その夜、父が仕事から帰ってきたあと

母は父にひどく殴られ、髪の毛を捕まれ

ライターの火で前髪を炙られていました。

 

わたしと姉はそれを見ていることしか

できませんでした。

 

祖父は足腰が悪いため

1階で暮らしていましたが

その日はあまりに様子がおかしいと

階段の下から心配そうに声をかけていました。

 

その日は祖父と一緒に寝たと思います。

 

やっと最近、わたし自身も大人になり

父と母の歪な関係に自分なりの決着を

つけることができました。

 

父を殺したいと思うことは何度もありました。

わたしが中学生になると心の中で父を排除し

母を守らなければと必死になっていました。

 

母は姉とわたしに苦労をさせまいと

お金のために父と再婚したようで

多くを我慢していたと思います。

 

父を牽制するために、今でも

わたしを引き合いに出すことがあります。

(わたしは再婚を知らないていになっている)

 

姉はこんな家庭に嫌気がさしながらも

いつもわたしを気にかけてくれました。

 

父は幼い頃に母(わたしから見たら祖母)

を亡くし、哀れに思った父(〃祖父)に

たいそう甘やかされて育ったと聞きます。

 

今だから言えることではありますが

わたしの家庭は誰が悪いわけではなく、

それぞれがそれぞれの事情を抱え

苦悩やどうにもならない状況を

ぶつけ合っていたんだと思います。

 

そして、わたしもその中の一員でした。

 

物心ついた頃から、

人の機嫌を伺うことや

怒らせないように関わること

認められようとすることに

長けていきました。

 

 

 

新版 マジメすぎて、苦しい人たち

新版 マジメすぎて、苦しい人たち

 

 

つづく