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生 き づ ら い ん だ が

世界は美しいと誰か言ってくれ!

過剰適応かもしれない ◇ 2

 

前回の続き過剰適応かもしれない ◇ 1 - 生 き づ ら い ん だ がです

 

幼稚園生の頃からずっと

怒られることにはとても敏感でした

 

怒られる=存在を否定される

 

という方程式が頭の中にあったからです

 

自分が怒られるだけでなく、

周りの誰かが怒られていたり

怒りっぽい人の近くにいるだけで

胃がギュッと握られたような感覚になり

ひどいときは泣いてしまうこともありました

 

そんなわたしが、

できるだけ不便なく世の中を

渡り歩いて行くために身につけた術が

「いい子でいること」でした

 

大人が喜んでくれるように

期待に応えられるように

きちんとあいさつをする、

授業では挙手をして発言する、

宿題は完璧にこなして絶対に忘れない、

学級委員は率先してやる...etc

 

誰かに強制されたわけではありません

父は無関心でしたが、母はいつも寛容でした

 

曲がりなりにも、家族はわたしが

思い詰めることがないよう

ゆとりを持たせてくれていました

 

しかしわたし自身が

それをよしとしませんでした

 

「誰かの期待に応えよう」

とばかり考えていると、

自分の心の声がだんだん

聞こえなくなっていきます

 

疲弊し、ボロボロになっても

自分の心のSOSに気づかないのです

 

そうなるとどうなってしまうでしょうか

 

ある日突然プツンの糸が切れたように

動けなくなってしまいます

 

昼間は学校や職場で理想の自分を装い、

夜帰宅すると倒れ込んでしまうように、

日々の中でそれを繰り返している人もいるようです

 

わたしの場合は、ある夜突然

感情を抑えられなくなり

癇癪を起こしてしまうことがありました

 

自分でもどうしてこんな気持ちになるのか

分からないのに、怒りや悲しみ、涙が止まらなくなるのです

 

その様子をはじめて目の当たりにした

家族はとても驚き、心配そうにしていました

 

自分の本当の気持ちをないがしろに

していると、いつしか自分の心の声が

聞こえなくなってしまいます

 

爆発してしまったとしても理由は分からないままです

 

これは本当に気持ちが悪いことでした

 

なぜ荒ぶっているか分からなければ

それを癒す術も分からないのです

 

はじめて癇癪を起こした小学生の頃は

その仕組みがよく分からず、次の日には

「昨日はどうかしちゃってた、ごめんね!」

と家族に弁解し、何事もなかったかのように

「いつものお利口さんなふみちゃん」を

演じることに一生懸命でした

 

そうやって蓄積されていった

過剰適応の歪みが、

中学生になったわたしを

あんなにも苦しめることになるとは

その時は考えもしませんでした。

 

 

いい子をやめれば幸せになれる

いい子をやめれば幸せになれる

 

 

つづく